滅亡迅雷.netに接続したら世界はどうなったのか。

皆様、いかがお過ごしでしょうか。

更新日を見てびっくり、2年前ですか…
はじめましてですね、最早。

はじめまして、しがないオタクです。
この2年、何が変わるでもなく変わったことと言えば、職務経歴書の枠が増えたくらいです。

さて、本題に入ります。
タイトルにもあるように『仮面ライダーゼロワンOthers 仮面ライダー滅亡迅雷』を観に行ってきました。
初日、平日にも関わらず人の入りはそれなりに多く、作品やキャラクターそのものの人気度や期待値が伺えました。
そんな中で観た率直な感想が、

「めっちゃおもしろいのにすっげえ辛い、けどまた観たくなってる自分がいる…」

でした。
この映画、滅亡迅雷の中に推しがいる人には辛くてキツい展開だなって思います(かく言う私も迅推し)。
ただ、作品としてはおもしろいし、「そうきたか!」と予想を越えてくること間違いなしです。

なので是非みてほしいわけですが、なんと!!!
配信されることとなりました!

ゼロワン Others 仮面ライダー滅亡迅雷 https://share.mirail.video/title/0720411 #ミレール

1600円という映画館でみる金額で7日間レンタルできるのです。

これはまた観るしかないですね!


と言うわけで以下ネタバレと考察です。
※本編、映画REALTIME、滅亡迅雷の内容を一部含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まず、滅亡迅雷のアジトや周辺の環境に変化がありました。
それは花が増えたことです。
飛電或人が宇宙に行ったというニュースを滅と迅が観ているシーンがありますが、そのテレビの下にも花が置かれ、日当たりのいい棚の上にも何かしらの植物(観葉植物に見えましたが何かわかりませんでした)があり、滅亡迅雷のあの薄暗くジメッとした空間には不釣り合いなほどに、緑や花などの彩りが増えているのです。

恐らくそれらはすべて迅が育てて、飾っているのだと迅の行動から推測できます。特に育てている中にもラーニング要素が垣間見え、その最たるものは植木鉢の変化だと思います。

冒頭、水やりをする迅のシーンがあります。ちゃんと植木鉢に植えられた綺麗な花に水をやっています。しかもちゃんと根本に届くように霧吹きを使って水を与えています。さらにその後鉢を外に持っていき日光に当たるように置きます。その何気ないシーン、置かれた鉢植えの横には鍋に花を植えているものがあったり、様々です。
ここも迅が花を植えるにあたっての成長要素なのだと思います。

次に迅が水やりをしていた花についてですが、調べてみてこれかな?と思うものがありました。
それはガーデンシクラメンです。
そもそものシクラメンは越冬しにくく、その弱さを改良したのがガーデンシクラメンです。

ここで花言葉、というかガーデンシクラメンに対する意味合い的なものを言及します。
ガーデンシクラメンシクラメン花言葉は同じということで、

「死」「苦」の語呂合わせから、病院への見舞いにシクラメンを持っていくことは縁起が悪いとされています。しかし一方で、シクラメンは次から次へと咲き続け話題を提供してくれるので、家族のきずなが深まるお花とも言われています。
(引用:https://lovegreen.net/languageofflower/p22686/)

このように、迅が滅亡迅雷の関係性に対して、滅やソルドたちに対して家族意識が強い現れを示しているのではないかと思います。
そして、『死』と『苦』を与えるのも迅が選んだ
『ソルド達(AI)を守る』ことが『人類に対しての悪になる』になり、結果的に訪れた4人のあのラストになるのではないでしょうか。
また、その花の側にアズをの体を置くことでアズ及びアークの『死』を表し、その直後にソルドたちに対して弟や妹としての愛情を覗かせることで、ソルドとしての迅が思う家族への気持ちも表しているのではないかと思います。
さらに、花を育てたりする行為は迅の何かを育てたい、面倒をみたい欲の高まりの表現ともとれます。

そして、シクラメンやガーデンシクラメンは植え替えをすることでより長く育つのですが、あのガーデンシクラメンは植え替える前提で鉢植えで育てていたのだとしたら。
本作でそれが叶わなくなってしまったことがたまらなく切ないです。


続けて仮面ライダー滅亡迅雷がなぜ破壊を行う悪になったのか、作中でも『自分たちの正義のためなら世界の悪になってもいい』(ニュアンス)的な話をしていました。

迅や亡、雷は非常に純粋なヒューマギアです。そして、基本的にはヒューマギアである自分達中心の善悪思考です。人間たちを心から信用しているというよりも『ゼロワン』に恩があるから味方をする、そんな感じではないでしょうか。
例えば『映画仮面ライダーゼロワンREALTIME』内での天津垓に対する亡の態度です。
亡が天津の顔をみて嫌な顔をするシーンがあるのですが、このように自分ことヒューマギアに対しての悪者(またはだった者も含む)にはあまりいい印象がなく、感情を出してしまう描写といえるのではないでしょうか。
つまり、自分達(ヒューマギア)の心を無視する、無下にする人間たちは許せないという根本の思想は本編最終回以降変えられていないと考えられます。

一方で滅は、他の3人のテロ行動に自身が加わることを迷ってしまいます。
それは何故か?と考えたときに、滅は大切なものを奪う辛さを知っていて、大切なものを失う辛さも知っている。だからこそ、戦うことに躊躇っていたのではないでしょうか。

滅と他の3人の決定的な違いは大切なものを失ったかどうかだと思います。

傷つけることは良くない、けれど傷つけられたらどうするべきか。家族や大切な人の気持ちを踏み躙られたなら自分はどう立ち回るべきか。

そんな中現れた不破諌。
彼は自身の大切な人を傷つけられたら、許せるかという滅の問いに
「ぶっ潰す」
と答えます。

その問いは滅自身が人類のために迅たちを止める機会をつくる最後のチャンスだったのではないでしょうか。
そこで、不破が「そうなる前に止める」そう答えていれば、きっと滅は迅たちのあの行動を止めたのでは?とふと思ってしまいます。
その答えによってその未来が奪われたのだとしたら。
本編から私(または私たち)が好きだった不破らしさ溢れる発言が、トリガーとなりバルカンバルキリーに繋がるのだとしたら。
と思うとなんとも言えない気持ちになってしまいました。

最後の悲痛な叫びについてですが、彼らの意思はあの仮面ライダー滅亡迅雷にあるか、というところがポイントですね。
個人的にはないものだと思ってます。
ただ、意思はないけれど意志はあったのではないでしょうか。
滅亡迅雷の意志というのは彼らの思う悪を倒すことです。つまり、人類というよりも「ヒューマギアを物のように扱う存在」が許せない、ということだったと思います。
結果的に、仮面ライダー滅亡迅雷はZAIAの日本社屋を爆破させました。

ここでひとつ。これは認識の話ですが、皆さんの中でイメージする敵対する存在とはなんでしょうか。

少し想像してください。なんでもいいです、妙に開けづらいポテトチップスの袋でも、踏ん反り返って座ってるだけの上司でも。

想像できましたか?では彼ら、それらはどんな存在でしょうか。きっと、様々な感情が出てくると思います。

その存在って、簡単に言ってしまえば、自分にとっての不利益になるものですよね。


この当たり前のことをここで話したのは、皆さんの中の滅亡迅雷の存在はどのようなものだったかを今一度考えてほしかったからです。


敵対組織であった彼らは最後に味方となり、一見ヒーローのような存在であったはずです。

しかし、このVシネでそれは見事に崩され、元から悪で、変わらず悪だったことの証明がされてしまいます。一時間もない作品の中で彼らは不利益な存在と世間に知らしめることとなってしまいました。

 

それと同時に、どうしても私達は人類目線でしか理解できず、彼らに歩み寄ることも賛同することもできない証明にもなったのではないでしょうか。

少なくとも私自身は彼らの行動に対して、
「どうして?」
という疑問が湧いてきました。どうして爆破したのか、それ以外に方法はなかったのか、どうして世間を『敵に回す』ようなことをしたのか、と。

アークランドも言っていたように戦争は『正義』と『正義』のぶつかり合いで、ヒューマギアサイドの『正義』や『思想』は私達からはわかりあえないものになるのです。そして、ヒューマギアにはこちらの人類の『正義』や『思想』もわからないことでしょう。

だからこそ、仮面ライダー滅亡迅雷という存在は私達人類はずっと悪で、こちらの考えなど理解できない、そういう根本の違いから生まれた悲劇なのではないでしょうか。

話を戻します。
ではなぜそのように悲痛な叫びを上げたのか。
先程までの話を踏まえ、あくまで人類目線で考えると、彼らはZAIAに対して求めていたことはあくまでも『ソルドたちの開放』と、『ヒューマギアの人権』であって、実害を及ぼすつもりはなかったのではないかと思います。
特に『ヒューマギアの人権』については、作中でも『ヒューマギアは道具だ』とも取れる発言がみられました。記者会見でもおそらくあの場にいたほぼ全員が『ヒューマギアは便利な商品』と思っていたことでしょう。
そのヒューマギアサイドの主張については仮面ライダーバルカンバルキリーで回収してくれると思っています…

では何故、あそこまでの攻撃的な行動をとることとなったのか。それは滅亡迅雷の4人の意志が確固たるものとなり、その絆から仮面ライダー滅亡迅雷が生まれてしまったからだと考えています。

作中にもあるように、仮面ライダー滅亡迅雷になることで己のセーブが効かなくなった(意訳)というようなセリフがあります。
その結果、『ZAIAは悪』『平等に扱わない人類は敵』という根本の感情だけが増幅し、このような破壊行動に繋がったのだと思います。

彼ら自身このような行動を取りたいとは思っていなかったはずです。
本編では世界の悪を見張っていこうと誓った自身が、Vシネでは悪となってしまったのは彼らにとって、相当ショックなのではないでしょうか。
しかし、これ以外に思いつかない。
思想の違いはラーニングできても、わかりあえない葛藤に悩み、あの悲痛な叫びとなったのではないでしょうか。

これは私の想像の域を出ませんし、もっと他の意見もあるかもしれません。ひょっとしたら頭が痛くて叫んでいるだけかもしれません。
そう、結局私には彼らがどんな思いなのか、わかることは何ひとつとしてないのです。


最後に、冒頭でも少し言いましたが、私は迅推しです。
「いっぱい日光浴びろよ」
って優しい顔をしてお花を育てている姿を思い返して
「え、えいが観なきゃ…」
と発作を起こすようなどこにでもいる普通の迅推しの一人なのですが、ここまで色々考えながら見ることができて、企画してくださった方、監督や脚本をはじめとしたスタッフの皆様、そしてキャストの皆様には本当に感謝してもしきれません。
この発作にも答えてくれた映画館(?)もありがとうございました。

発売まではまだありますが、配信も解禁されたので(再掲)
ゼロワン Others 仮面ライダー滅亡迅雷 https://share.mirail.video/title/0720411 #ミレール

また観てみようかなと思います。

ここまで読んでくださった皆様ありがとうございます。
そろそろ発作が起きそうなので早速観てきます。
是非、皆様の考察や感想もきかせてほしいです。

では、また!